弥富情報室ブログ

「あなたのふるさとになります」 山口県に弥富村があります。今は萩市ですが、かつて阿武郡にあった島根・津和野の隣にある小さな村。弥富村が好きな人々の温かい交流の場にしたいと思います。

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弥富の馬場に医者がいた 

 今年2011年4月4日に、河田様からコメントを頂いていました。しかし、この間ブログの管理を怠っていたため大変失礼をしてしまいました。やっと気づいてコメントをし、あらためてお詫びのメールを送りました。
 河田様からのコメントにはとても重要な事が書かれていました。情報室の記事にして、あらためて紹介します。

 4月4日のコメントは以下のとおりです。

  私の母方の祖父である寺戸英介は山口県阿武郡弥富村字弥富上732で出生し、尾道中学、山口高校、東大医学部を卒業。その後、医師として当時は僻地であった北海道の釧路に総合病院を建て地域医療に活躍したと聞いています。母親は明治42年生まれですので祖父は明治初期の生まれだったと思います。すでに67歳の私ですが、未だに弥富村を訪ねたことが無いので、一度立ち寄りたいと思っています。


 弥富上732番地は国道315号から弥富支所などへ向かう三叉路の周辺です。弥富馬場になります。ここに寺戸医院があり、開業していた事が分かりました。まだ地元の人に聞いていませんので、近々情報収集することにします。

 萩図書館に「阿武郡医師会史」という本があります。波多放彩が、医師会の依頼で書いたものです。そのなかには、弥富の医療の歴史が書かれています。

 そのなかの寺戸さんに関する部分を抜粋して、紹介します。


阿武郡医師会史 (波多放彩 著)から抜粋 ~~~~~~~~~~

寺戸玄仙 (享和三年 1803~明治6年5月6日)

子は道八 (弘化3年 1846年 ~ 明治46年9月21日)

    明治27年12月28日、萩唐樋町に移り開業
    明治36年 5月18日 養子 一信に家業を譲り廃業しここで 没した。

 「旧長藩殉難者銘録(名士病死者人名録)」にその名が載っているとこ ろからみると、恐らく、幕府の長州征伐のとき長州藩益田口討伐に参加して病を得たか、負傷したかどちらかであろうが、口碑に跛だったとあ るので負傷したことを裏付けられるよう思惟された。

 娘 スミに養子を迎えた

 寺戸一信(慶応2年1866年~大正8年1月17日 島根県浜田市生まれ、柘植三郎三男 島根県医学校在学中廃校となり岡山県医学校及び済生学舎卒、明治22年考試合格)は、北里研究所で細 菌学を研究後、33年9月萩唐樋町で父業を継いだのち、弥富村馬場に帰住、開業した。

 寺戸一信は、明治40年から43年まで 阿武郡会議員を務めた。妻スミは、明治73年ドイツのフランクフルト・アム・マイン国立実験治療 研究所でエールリッヒとともにスピロヘータ病(梅毒)の合成物質による世界最初の化学療法剤サルバルサン(1に606号)を発見した秦佐八郎(明治6年~ 昭和13年、島根県生まれ)の妻チヨの従妹。

 スミの弟・寺戸英介(明治10年11月8日~没年不詳、明治18年東大医卒 登21657号内科)は、卒後しばらく医業に従事したが、のちに北海道に渡り、釧路市で博済病院を院長として経営した。

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 河田様には、寺戸英介さんのお孫さんが、川崎の武蔵小杉で外科医院を開設されていることも教えてくださいました。

 弥富出身の方が、釧路市で地域医療に貢献されたと言う情報は、とても明るいニュースです。その後のことなどが釧路市で分かるでしょうか。調べてみたいですね。どなたか興味のある方はいっしょに調べていただけないでしょうか。
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テーマ:山口県 - ジャンル:地域情報

  1. 2011/08/05(金) 10:37:10|
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